運も実力の内。
『不幸な人の共通の過ちは、
わが身に幸せが訪れることを、
決して信じたがらないことである。』
-セネカ(ローマ帝国の政治家・哲学者・詩人)-
不運な人はなぜツイてないのか?
あなただけのストーリーをデザインする道具箱
運も実力の内。
『不幸な人の共通の過ちは、
わが身に幸せが訪れることを、
決して信じたがらないことである。』
-セネカ(ローマ帝国の政治家・哲学者・詩人)-
不運な人はなぜツイてないのか?
実際に起こること、それ自体に幸運・不運はありません。
そのことをどう感じるか、どう受け止めるかの違いです。
『この世の中では、
たとえ王であろうが、
法王であろうが、
何らかの苦難や
苦悩のない人はいない。』
-トマス・ア・ケンピス(神秘思想家・神学者)-
『不幸を感じたら
「混乱しているだけ」
と考えよう。』
-コリン・ターナー(作家・コンサルタント)-
『七転八倒
つまづいたりころんだりするほうが自然なんだな
にんげんだもの』
-相田 みつを(詩人・書家)-
『どのような不幸に際しても、
何よりも強い慰めとは、
自分より、もっと不幸な他の人たちを
見ることによって得られる。』
-ショーペンハウアー(哲学者)-
『運命をあざ笑う者が
幸運を手に入れるだろう。』
-ベンジャミン・ディズレーリ(イギリスの首相・小説家)-
『不運は投網のようなもの。
引く時は重いが
揚げると何もない。そういうものだ。』
-トルストイ(小説家・思想家)-
『不運なら、運不運を忘れるほど
仕事に熱中してみなさい。』
-稲盛 和夫(京セラ・第二電電[現KDDI]創業者)-
起こった不幸は誰のせいか、なぜ起こったのか、、
回想して、後悔して、反省して、、
間違いに気づく。
やり直しはできなくとも、成長の糧にできれば、
あなたに足りなかったものが見つかり、埋められるかもしれませんね、
『我々が我々の運、不運をつくる。
そして我々はこれを運命と呼んでいる。』
-ベンジャミン・ディズレーリ(イギリスの首相・小説家)-
『運命は我らを幸福にも不幸にもしない。
ただその種子を我らに提供するだけである。』
-モンテーニュ(哲学者)-
『もしもあなたが
自分は不運な目にばかり遭っている、
自分は不幸だと思っているのなら、
その出来事は、
そう思うあなた自信が引き寄せていることに
一刻も早く気づいてください。』
-ナポレオン・ヒル(作家)-
『吉凶は、人によりて日によらず。』
-吉田 兼好(官人・遁世者・歌人・随筆家)-
『運が向こうから、皆さんの方へ
お客のように来るんじゃないんですよ。すべての幸福や好運は、
自分が呼び寄せなければ来やしないんです。』
-中村 天風(実業家・思想家・ヨーガ行者)-
『不幸な人間は、いつも
自分が不幸であるということを
自慢しているものです。』
-バートランド・ラッセル(論理学者・哲学者・数学者)-
『何か不運に見舞われそうになったら、
起こり得る最悪の事態について
真剣に、慎重に考えてみよう。この起こり得る最悪の事態を
しっかり見据えたら、
それも結局大した災難ではないと
思うための理由を考えてみよう。その理由は必ずあるものだ。』
-バートランド・ラッセル(論理学者・哲学者・数学者)-
『夢を持たないと運は向いてこない。』
-安藤 忠雄(建築家)-
『多くの人は
自分の都合のいいように
物事を見て
「いいこと」と
「悪いこと」を
判断している。そういった人はいつでも
「できなかった理由」を
人のせい環境のせいにする。』
-スティーブン・R・コヴィー(作家・経営コンサルタント)-
『人間は自分に起こった問題を
環境のせいにする癖を
止めねばならぬ。そして自分の意志
(信念と道徳に基づく自分自身の取るべき道)を
訓練することを再び学ぶべきだ。』
-アルベルト・シュヴァイツァー(神学者・哲学者・医者・オルガニスト・音楽学者)-
『事の成り行きを
運命の女神のせいにするのは
大きな心得違いだ。彼女自身はまったく無力で
「分別」の神に支配されているからだ。』
-ジョン・ドライデン(詩人・劇作家)-
『あなたは心得違いをしている。
それは運が悪いのでもなし、
神明の加護がないのでもない。ただ、あなたの願うことと、
することが違うからいけないのだ。』
-二宮 尊徳(金治郎)(農村復興政策を指導)-
『起こったことをあるがままに受け入れよ。
それが不幸な結果を克服する第一歩である。』
-ウィリアム・ジェームズ(哲学者・心理学者)-
『「俺は運が悪いなあ」
と思わないで「ああ、何か俺の
心構えなり、方法なりに
大きな間違いがあったのを、
こういう結果になって、
天が教えてくれているんだなあ」
と考えなさい。』
-中村 天風(実業家・思想家・ヨーガ行者)-
『環境とは、
与え、与えられるものではない。育ち、育てるものである。』
-安藤 忠雄(建築家)-
『右見れば、繚乱たる花園があり、
左見れば、墓場や死骸がごろごろ転がっている。左ばかり向いていて、
なんてこの世は残酷なんだと考えている奴があったら、
その人間をほめるかい?』
-中村 天風(実業家・思想家・ヨーガ行者)-
『刑務所の鉄格子の間から
二人の囚人が外を見た。一人は泥を、
もう一人は星を眺めた。』
-フレデリック・ラングブリッジ(作家)-
『運命には二種類ある。
どうにもしようのない運命を
天命と言い、
人間の力でうち開くことのできるものを
宿命と言う。』
-中村 天風(実業家・思想家・ヨーガ行者)-
人生はいつも楽しいことばかりではなく、苦しいこともある。
良いことばかりは続かない。
怠けた人生を送れば後で苦労に見舞われる。
人生はいつも苦しいことばかりではなく、楽しいこともある。
悪いことばかりは続かない。
苦労をしていれば後で楽になれる。
『この世の中には色々の不幸がある。
しかしその不幸から良きものを生み出そうとし、
また生み出し得るものは賢い人である。』
-武者小路 実篤(小説家・詩人・劇作家・画家)-
『私は大いに運を信じている。
そして懸命に働けば働くほど
運が増すことを知っている。』
-トーマス・ジェファーソン(第3代米国大統領)-
(人生には浮き沈みがある)
人生には良いことも不運なこともあり、
不運なことばかりが続くわけではないから、
くよくよしてもはじまらない。
『この世は絶え間のないシーソーだ。』
-モンテーニュ(哲学者)-
『いつまでも続く不幸というものはない。
じっと我慢するか、
勇気を出して追い払うかの
いずれかである。』
-ロマン・ロラン(作家)-
『われわれは幸福も不幸も
大げさに考えすぎている。自分で考えているほど幸福でもないし
かといって決して不幸でもない。』
-オノレ・ド・バルザック(小説家)-
『私が人生を諦めて、
自分一個の幸不幸などは
どうでもよいと悟って以来、少なくとも人生は、
私にやさしくしてくれるようになった。』
-ヘルマン・ヘッセ(小説家・詩人)-
『すべての悲運の中においても、
最も大いなる不幸は、
昔は幸せだったことだ。』
-ホラティウス(古代ローマ時代の詩人)-
『運命よりも心の力が勝れば、
運命は心の支配下になるんです。』
-中村 天風(実業家・思想家・ヨーガ行者)-
(人生における幸不幸は予測しがたい)
幸せが不幸に、不幸が幸せに
いつ転じるかわからないのだから、
安易に喜んだり悲しんだりするべきではない。
昔、中国北方の塞(とりで)近くに住む
占いの巧みな老人(塞翁)の馬が、
胡の地方に逃げ、人々が気の毒がると、
老人は「そのうちに福が来る」と言った。
やがて、その馬は胡の駿馬を連れて戻ってきた。
人々が祝うと、
今度は「これは不幸の元になるだろう」と言った。
すると胡の馬に乗った老人の息子は、
落馬して足の骨を折ってしまった。
人々がそれを見舞うと、
老人は「これが幸福の基になるだろう」と言った。
一年後、胡軍が攻め込んできて戦争となり
若者たちはほとんどが戦死した。
しかし足を折った老人の息子は、
兵役を免れたため、戦死しなくて済んだ。
『人間に関することに
安定などないことを
忘れてはならない。それゆえに、繁栄している時には
過度の喜びを避け、
逆境にある時には
過度の落ち込みを避けなさい。』
-ソクラテス(古代ギリシアの哲学者)-
『あなたはどんな状況下でも、
自分がどう影響されるかを
自分で選択することができる。あなたに起きた出来事
あるいは受けた刺激と、
それに対するあなたの反応との間には、
あなたの自由、
すなわち反応を選択する能力が
存在しているのだ。』
-スティーブン・R・コヴィー(作家・経営コンサルタント)-
『日の輝きと暴風雨とは、
同じ空の違った表情にすぎない。運命は、甘いものにせよ、
苦いものにせよ、
好ましい糧として役立てよう。』
-ヘルマン・ヘッセ(小説家・詩人)-
『災いは過去の因縁によって
来る場合もある。名僧が強盗にあったときの歌に
「前の世の借りを返すか、いま貸すか、
いずれ報いはありとしぞ知れ」
と詠んだとおりだろう。決して迷ってはならない。』
-二宮 尊徳(金治郎)(農村復興政策を指導)-
(幸福と不幸は表裏一体で、かわるがわる来るものだ)
災いと幸福は表裏一体で、
まるでより合わせた縄のように
かわるがわるやって来るものだ。
不幸だと思ったことが
幸福に転じたり、
幸福だと思っていたことが
不幸に転じたりする。
成功も失敗も縄のように表裏をなして、
めまぐるしく変化するもの。
(幸運はほどほどでよい。良いことばかりは続かない)
(物事が盛りに達した後は、必ず衰え始める)
(この世は無常であるから、栄華を極めている者も必ず衰えるときがくる)