不用意な発言は自分自身に災いを招く結果になるから、言葉は十分に慎むべきだという戒め。
うかつに言葉を発するべきではない。
舌は禍(わざわい)の根
(不用意に発する言葉は災いを招くもととなることが多いから、おしゃべりは慎むべきだ)
-老子-
『足を滑らせても
すぐに回復できるが、
口を滑らせた場合は
決して乗り越えることはできない。』
-ベンジャミン・フランクリン(政治家・外交官・著述家・物理学者・気象学者)-
『放たれた言葉は再び還らず。』
-ホラティウス(古代ローマ時代の詩人)-
『心にもない言葉よりも沈黙の方が、
むしろ、社交性を損なわない。』
-モンテーニュ(哲学者)-
『多くの場合、言い方は
言う事よりも重要です。』
-シドニー・ハリス(ジャーナリスト・コラムニスト)-
『人生における成功をA、
仕事をX、遊びをY、
そして口を閉じることをZとすると、
A=X+Y+Zが成立する。』
-アインシュタイン(物理学者)-
沈黙は金、雄弁は銀
(何も語らず黙っていることは、すぐれた雄弁よりも大切である)
「沈黙」を、銀よりも高価な金にたとえていったもので、よどみなく話せることも大事だが、黙るべきときを知ることは、もっと大事だということ。
『愚者の心は口にあるが、
賢者の口は心にある。』
-ベンジャミン・フランクリン(政治家・外交官・著述家・物理学者・気象学者)-
『時に適った言葉は銀となり、
時に適った沈黙は金となる。』
-ベートーヴェン(作曲家)-
『言い訳の上手い男は、
他に得意なものがないことが多い。』
-ベンジャミン・フランクリン(政治家・外交官・著述家・物理学者・気象学者)-
『品性の卑しい人は、
過失を犯しても改めようとせず、
必ず言い訳をしてごまかそうとする。』
(小人(しょうじん)の過(あやま)つや必ず文(かざ)る)
-子夏(孔子の弟子)-
『本当に黙することのできる者だけが、
本当に語ることができ、
本当に黙することのできる者だけが、
本当に行動することができる。』
-セーレン・キェルケゴール(哲学者・思想家)-
『多くの言葉で少しを語るのではなく、
少しの言葉で多くを語りなさい。』
-ピタゴラス(古代ギリシアの数学者・哲学者)-
『言語をつつしみて、
無用の言をはぶき、
言をすくなくすべし。
多く言語すれば、
必ず気へりて又気のぼる。
甚(はなは)だ元気をそこなふ。
言語をつつしむも、
亦(また)徳をやしなひ、
身をやしなふ道なり。』
-貝原 益軒(本草学者・儒学者)-
『良く喋り、能弁であることは、
偉大な芸術であるが、
喋るのを止める適切な時を知ることも、
同様に偉大な芸術である。』
-モーツァルト(作曲家・演奏家)-
言わぬが花
(物事は露骨に言ってしまっては興ざめするものであり、黙っているほうがかえって趣があったり、値打ちがあるもの)
『沈黙することを学びなさい。
静まった心に耳をすませ、吸収させなさい。』
-ピタゴラス(古代ギリシアの数学者・哲学者)-
『言うべきときを知る者は、
黙すべきときを知る。』
-アルキメデス(古代ギリシアの数学者・技術者)-
『われわれは聞いていることよりも、
話すことのほうに熱心である。』
-ヘンリー・デイヴィッド・ソロー(作家・思想家・詩人・博物学者)-
知る者は言わず
言う者は知らず
(物事を深くよく理解している人は、そのことを軽々しく口に出さないが、 よく知らない人は、本当のことをよく分かっていないため、かえってよくしゃべる)
-老子-
『本当に物事が分かっている人は、
大声を出さないものである。』
-レオナルド・ダ・ヴィンチ(芸術家・科学者・発明家)-
『人間は思想を隠すためでなく、
思想を持ってないことを隠すために
語ることを覚えた。』
-セーレン・キェルケゴール(哲学者・思想家)-
『自分の知識をひけらかしてばかりいたら、
成長にとって必要な自らの無知を自覚することなど、
どうしてできるだろうか。』
-ヘンリー・デイヴィッド・ソロー(作家・思想家・詩人・博物学者)-
『虚栄心は人を饒舌(じょうぜつ)にし、
自尊心は人を寡黙にする。』
-ショーペンハウアー(哲学者)-
『真実の永遠なる栄光を求める者は、
たわいもないこと、
意味のないおしゃべりに関わらない。
心にこれを軽蔑せざる者は、
天上の栄光を求めざるを示す者なり。』
-トマス・ア・ケンピス(神秘思想家・神学者)-
『徒然草』-吉田 兼好-
第79段
『何事も入りたたぬさましたるぞよき。
よき人は、知りたる事とて、
さのみ知り顔にやは言ふ。
片田舎よりさし出でたる人こそ、
万の道に心得たるよしのさしいらへはすれ。
されば、世にははづかしきかたもあれど、
自らもいみじと思へる気色、
かたくななり。
よくわきまへたる道には、
必ず口重く、問はぬ限りは
言はぬこそいみじけれ。』
(何事も深く知らない様子をしているのがよい。
立派な人は、知っている事でも、
そのように知ったふうな顔で言うであろうか、言わない。
片田舎から出てきた人が、
あらゆる道に心得たふうの
受け答えをするのである。
そうすれば、聞いているほうが
非常に恥ずかしくなるような所も時にはあるが、
言っている本人も自分のことを
立派だと思っている様子が、
みっともない。
よく知っている道については、
必ず口を重くして、質問しない限り
言わないのがよいのだ。)
-吉田 兼好(官人・遁世者・歌人・随筆家)-