当たり前だと思っている現象も、五感を通して脳で認知して、電気信号により脳内で再現したものです。
そして人間の五感で認知できるものは、世界に存在しているものの極一部にしか過ぎないのです。
知っているようで、知らないものが、、
知らないことにすら気づいていない、気づけないものが多々あります。
自分自身について考えてみると、他社と比較して、社会的な価値基準と比較して、自分を認識しています。
それも自分で認識している自分自身と、他社から認識されている自分は異なります。
正しさは相対的なものであり、立場や見方によって変わります。
絶対ではありません。
この世界に不変なもの、揺るがないものはあるのでしょうか?
『真実には特定の時などない。
真実はどんな時代にも真実である。』
-アルベルト・シュヴァイツァー(神学者・哲学者・医者・オルガニスト・音楽学者)-
『誰もが真実を見ることはできない。
しかし真実であることはできる。』
-フランツ・カフカ(作家)-
『自然は自己の法則を破らない。』
-レオナルド・ダ・ヴィンチ(芸術家・科学者・発明家)-
『真実とは、経験という試練に
耐え得るもののことである。』
-アインシュタイン(物理学者)-
『真理は単純さの内に見出され、
物事の多様性や混乱の内にではない。』
-アイザック・ニュートン(哲学者・数学者・物理学者・天文学者・神学者)-
『真理はそのままでもっとも美しく、
簡潔に表現されていればいるほど、
その与える感銘はいよいよ深い。』
-ショーペンハウアー(哲学者)-
『時は貴重であるが、
真実は時間よりも貴重である。』
-ベンジャミン・ディズレーリ(イギリスの首相・小説家)-
『物事が変わるのではない。
私たちが変わるのだ。』
-ヘンリー・デイヴィッド・ソロー(作家・思想家・詩人・博物学者)-
『時代遅れになる原則は、
そもそも原則ではありません。』
-ウォーレン・バフェット(投資家・経営者・慈善家)-
『酒は強く、
王はもっと強く、
女はそれよりさらに強く、
けれども、
真理は最も強い。』
-マルティン・ルター(神学者・教授・作家・聖職者)-
『我々はみな真理のために闘っている。
だから孤独なのだ。
寂しいのだ。
しかし、だから強くなれるのだ。』
-イプセン(ノルウェーの劇作家)-
『もしも、あなたが真理を求めるなら、
あなたは最終的に慰め(なぐさめ)を
得るようになるだろう。
もしもあなたが慰めを求めるならば、
慰めも真理にもどちらにも
到達しないであろう。
それは、柔らかくなった石鹸を
手でつかもうとし、
まるでそれが手からするすると出て行き、
結局は手の内に何も残らないのと同じである。』
-C・S・ルイス(学者・作家)-
『目に見えるものは
移ろいやすいけれど、
目に見えないものは
永遠に変わりません。』
-ヘレン・ケラー(教育家・社会福祉活動家・著作家)-
『あらゆるものは、
他のあらゆるものと関連する。』
-レオナルド・ダ・ヴィンチ(芸術家・科学者・発明家)-
『あらゆるものの部分は
それ自身の内に
全体の性質を保っている。』
-レオナルド・ダ・ヴィンチ(芸術家・科学者・発明家)-
『真実のない生というものはありえない。
真実とは多分、
生そのものであろう。』
-フランツ・カフカ(作家)-
『真実は体験するもので、
教わるものではない。』
-ヘルマン・ヘッセ(小説家・詩人)-
『精神の世界以外には
何も存在しないという事実、
これがわれわれから希望を奪い取って、
われわれに確信を与える。』
-フランツ・カフカ(作家)-
『新聞の中で最も真実を
伝えているのは広告だ。』
-トーマス・ジェファーソン(第3代米国大統領)-
『変化は避けられない。
変化は不変である。』
-ベンジャミン・ディズレーリ(イギリスの首相・小説家)-
『水はすべての自然の原動力です。』
-レオナルド・ダ・ヴィンチ(芸術家・科学者・発明家)-
『すべては、すべてから来る。
すべては、すべてから創られ、
すべては、すべてに戻っていく。
すべては、すべてに包み込まれる。』
-レオナルド・ダ・ヴィンチ(芸術家・科学者・発明家)-
蒔かぬ種は生えぬ
(種を蒔かなければ花も実もなるはずなどなく、収穫があるはずもない)
『収穫の法則というものがある。
蒔かれたものを
刈り取ることができる
ということであって、
それ以上でも、
それ以下でもない。
自然の法則は不変であり、
正しい原則に生活を
合わせれば合わせるほど、
我々の分別は高まり、
世界の本当の構造を理解でき、
パラダイムは正確なものになってくる。』
-スティーブン・R・コヴィー(作家・経営コンサルタント)-
『キュウリを植えれば
キュウリと別のものが
収穫できると思うな。
人は自分の植えたものを
収穫するのである。』
-二宮 尊徳(金治郎)(農村復興政策を指導)-
『一切の人生の果実は、
その人が蒔いた種子のとおり
表現してくる。』
-中村 天風(実業家・思想家・ヨーガ行者)-
『因というのは、たとえば、
蒔いた種のことだ。
これを耕作培養するのが縁だ。
種を蒔いた因と、
培養した縁とによって
秋の実りを得る、
これを果というのだ。』
-二宮 尊徳(金治郎)(農村復興政策を指導)-
『行いは、思いの花であり、
喜びや悲しみは、その果実です。
私たちは、ときには甘く、
ときに苦い果実を、
自分で育て、収穫するのです。』
-ジェームズ・アレン(作家)-
『いま、富める者は、
必ずといってもよいほど、
その前から徳を積んだものである。
もし麦を蒔かなかったら、
来年は麦がまったく実らない。
麦の実りは冬から力を入れてきたからである。
稲を仕つければ秋には実る。
米の実りは、
春から丹精して(心を込めて励んで)きたからである。』
-二宮 尊徳(金治郎)(農村復興政策を指導)-
『まかぬ種子は生えぬと言うが、
我等は不幸の種子をまかず、
幸福の種子をまくように
注意すべきである。』
-武者小路 実篤(小説家・詩人・劇作家・画家)-
『種を蒔けば
刈り取らねばならない。
人を殴れば、
苦しまねばならない。
人に善をなせば、
あなたも善を受け取るだろう。』
-エマーソン(思想家・哲学者・作家・詩人)-
『気高く神のような人格は、
神から贈られるものでも、
偶然手にするものでもありません。
それは、
まっすぐな思いを持ち続けること
による自然の結果なのです。
同じように、
品位に欠けた野獣のような人格も、
卑しい思いを心に抱き続けた
結果なのです。』
-ジェームズ・アレン(作家)-
『心の中で素晴らしい考えを育てなさい。
なぜなら、自分が考えている以上に、
素晴らしい人間にはなれないのだから。』
-ベンジャミン・ディズレーリ(イギリスの首相・小説家)-
道理
『生きているときは人で、
死んで仏になると
思っているのは間違いだ。
生きて仏であるからこそ、
死んで仏なのだろう。
生きてサバの魚が、
死んでカツオになる道理はない。
林にあるときはマツで、
切ったらスギになるという木はない。
だから生前から仏であって、
死んで仏になり、
生前から神であって、
死んで神なのだ。』
-二宮 尊徳(金治郎)(農村復興政策を指導)-
『同じことを繰り返しながら、
違う結果を望むこと、
それを狂気という。』
-アインシュタイン(物理学者)-
『昔から方位で禍福を考えたり、
月日で吉凶を説いたりすることがあって、
世間ではこれを信じているが、
この道理はあり得ない。
禍福吉凶というものは、
人それぞれの心と行ないとが
招くところに来る。』
-二宮 尊徳(金治郎)(農村復興政策を指導)-
幻想
『現実は幻想に過ぎない。
非常にしつこいものではあるが。』
-アインシュタイン(物理学者)-
『過去、現在、未来の区別は、
どんなに言い張っても、
単なる幻想である。』
-アインシュタイン(物理学者)-